幸福とは創造すること。
これに尽きる。
この本にこんな例がある。
幼児が積み木で遊ぶ話だ。
幼児は積み木を喜んで、熱中して遊ぶ。
大人が上手くいかないのを見かねて代わりに積んであげると逆に嫌がるほどに。
とにかく幼児の頃は、自分の力だけで何かを成し遂げたいのだ。
ここが大人になると変わってくる。
延々と続く買い物だ。大人はすでにあるものから選び、迷った時は多数から人気のあるものを選び、飽きれば買い換える。
常に買い物をしなくてはならないから、買うための金銭が欲しい。だから仕事の判断基準が報酬、金額になるのだ。
幼児が大人だったら、すでに積み上がった積み木を欲しがるだろうか。
幼児にとって自分で何かをすることが生なのだ。
そこに失敗も成功もない。
物心ついていないということもあるが、幼児期に何かが足りない、不幸だと感じるだろうか。
多分興味が創造を伴わない既製品に向かった時から、お金がないから不幸だと子供ながらに感じるようになるのだろう。
また幸福とは、能力を発揮することだという。
世間での一般的な幸福のイメージは、物質的な豊かさだ。
しかし物質的な財は奪われる可能性があるが、能力は誰かに奪われたり、失ったりするリスクはない。しかも能力は経験によって増大するのだ。
自分の能力を使うことはいつでも快感をもたらす。それはスポーツであったり、はたまた幼児期の積み木のような体験であったり、一度は皆が経験しているはずである。
またこの本では飽きることについても記述がある。
飽きるのは、幼児のように自分からものの見方を変えていないからだ。と。
いつも物事の同じ面しか見ていないから飽きるのだ。
幼児はいつまでも同じ形に木を積まない。常に変化させて彼らにとっての新しいものを作る。私たち大人が積み木を楽しめないのは、積み木で完成する形がだいたいこんなものだと知っているからだ。つまり、思考停止状態だ。
自分が知っていると思うことが誤解なのだ。本当は何も知ってはいない。読書をしても、2、3回読んで飽きたと思ったとしても、一文も暗唱できない。
飽きるのは、自分の成長が止まっているからなのだ。
手に入れたものを自分の中で変化させないから飽きるのだという。つまり自分自身が成長し続けなければ、飽きやすいことになる。
人間として成長を続けている人は、常に自分が変わるのだから、何を持ち続けても飽きないのだ。