軽々と、遠くへ行きたいと思って始めたブログももう5,6年も経ってしまった。
最初はカメラやロードバイクを主に発信しようと思って立ち上げたブログであったがいつの間にかバイクへと興味は移り、最近では車にも手が伸びてきた。
ブラック企業に勤めながら、いつか、未来は変わるはず、と夢を持って始めたブログ。
今では1日に1000PVあたりをうろつくブログへと成長した。
みなさま本当にありがとうございます。
でも残念なことに2.3前から停滞の一途をだどり、自分の生活水準は何も変わっていない。
いつまでも豊かな生活を得られないままである。
でもブログで得た知識を元に、昨年ブラック企業からは抜け出すことができ、残業のない企業へと転職はできた。
ブログという技術が人生を変えたことは本当だが、残念ながら生活の豊かさには繋がらなかった。
昨日までの今日の反省はそんな感じ。
明日からどう生きるかが重要だ。
目次
幸せとは何か
この歳になってやっと知った事実がある。
それは「モノは人を幸せにしてくれない」ことだ。
家には過去の遺産がたくさんある。これを買えば、所有したら幸せになるだろうというものだ。
今年のゴールデンウィークにたくさんのものや服を捨てた。
私は物持ちが良いので10年前とか学生の時に買った服がまだ家にあった。昔は物が増えるたびに幸せを感じれた。買った満足感があった。
今では買っても袋から出さずにしばらく置いておくものもある。アマゾンの段ボール箱をしばらく開けなかったものもある。
買うまでが、その物への興味対象のピークへと体が変化していくことがわかってきた。とても悲しいことである。
以前ロードバイクが生活の中心だった時は、このパーツやウェアがあればより速く、楽に走れるかもしれないという期待があり、物を買うことが楽しかった。
また、カメラ、レンズを買えば撮れなかったものが撮れるはずだという期待が嬉しかった。
でも試してみてもがっかりすることが多かった。
なぜなら自分は身体的に弱いから。
ロードバイクに乗っても乗っても最高速度は更新せず、重いカメラを持って外に出てもだんだんとそのカメラが嫌になった。
もはや自転車は電動のシェアサイクルでいいし、カメラもスマホで良くなった。
楽なのは正義になってきた。これも年齢のせいだろう。
そうなると、物を持つことは疲れてくる。見るたびに精神的に疲れる。
いつしかやりたかった、挑戦するために買ったものを見るたびに心が痛む。
そんなことがあったから自然と何か挑戦することをやめてしまった気がする。
良いものを持てば幸せになるというのは嘘だと気づく
私は収入が低いが物欲がひどかった。
物を持つなら最高のものが良いと思って身の丈に合わないものを買った。
中古で安くはなっていたがライカQやドグマF8がその最たる例だ。
確かにモノは最高だった。見ていてうっとりした。
でも結論、私を幸せにしてくれなかった。
ライカQにしか撮れないものがあると思ったが、そんなものはなかった。
ドグマに乗れば非力な私でももう少し速く走れると思ったが、全くそんなことはなかった。
高級なものを買ったことでキズをつけたくないという一心であまり外に持ち出さなくなった。
最終的に外に出るのが億劫になった。
なんと勿体なかった。
購入時の半分の価値となったが思い切って手放した。
高級なものは、それを何個も悩まず買える財力を持っている人でなければ買ってはならないと思った。
高級なものでも気負わずガンガン使える精神力を持っている人には価値のあるものだが、私のような小市民には無用の長物だった。
自分の性格を知ることができた高い勉強代だったと思う。
逆に言えば、毎日ガンガン使うべきスマホやPCにお金をかけるべきかなとは思った。
これからのコストのかける指針になったと思う。
これが35歳になる直前にハッと気づいたことである。
35歳独身であるが何か
結婚はしたことがない。
自分一人の時間が大事なタイプだ。
だから結婚するまでに何か成し遂げたいという気持ちが強い。
だって一人で何かする時間が限られそうだから。
そもそも予定はないので焦る必要もないのだが、いつそうなるかもわからないので何か一つは確立したものを持っておきたいとは思う。
それがこのブログをもっと伸ばすことなのか。それとも別なのかははっきりしない。
これから先生きていけば偶然に湧き出てくるはず。
この2年はコロナが恐ろしすぎて休日に外出をほぼしてこなかったために限られた経験しかしなかった。
今年はコロナが落ち着いてきたので、何か外から吸収していかないといけないなとは思う。
2年間外出自粛だからできなかったのか、コロナがなくても何もやっていなかったかどうかは分からない。
コロナのせいにするのはやめよう。
35歳になった感想はそんな感じだ。