よく新しいことを始めると、心の準備がいる。
新しい店、食べ物、仕事そして勉強。
心の準備というか、、、ためらう。足が止まる感じだ。
人間は慎重な生き物である。
この行為は正しい。
でもこの「ためらう」という本能は「生きるか死ぬか」のために本来機能するべきものだ。
しかし、現代の人間社会においてもこの本能はまるで野生に生息する動物のように機能する。
意に反して。
目次
行きたい。やりたい。
「生きたい」ではない。
そう。勘違いを脳は起こしているのだ。
あのためらう時の分泌物。もわっとする感覚は擬似的なものなのだ。
逆に考えてみよう。
ためらったなら、やりたいことなのだ。動くべきなのだ。
脳内物質は関係ない。
いいことを聞いた。
歩くスピードを速めればいいと。
脳内の判断が追いつかないスピードで行動すればいいのだ。
例えば行きたいと思ったら、まず足だけ動かして、もう行っている状態にする。
後悔は後ですればいい。
意外とあれこれ考えていたけど、こんな簡単だったの?って感じるらしい。
初めてのことは恐怖だ。
しかし、生死に関わらないことであったら実は恐怖ではないのかもしれない。
全ては自分が作り出した勘違い。
現実なんてそんなものらしい。